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Depth of Field

Interview -- ステファニー・ゴトウ

建築と同じように、
ステファニー・ゴトウのインスピレーションは
あらゆる角度から広がっていく。
しかしそこから得られる多種多様な要素は、
クラフツマンシップへの
深い敬意でつながっている。

ステファニー・ゴトウにとって、仕事は単なる職業や実践の場にとどまらない。それは使命という言葉すら超え、世界を「見る」「感じる」「知覚する」「体験する」ための包括的なレンズである。2004年にニューヨークを拠点とする自身の設計事務所を設立して以来、彼女は時間をかけて着実に評価を積み重ねてきた。素材性、光と影、そして感覚を前景に据えた、幽玄でありながら厳密、細部まで考え抜かれたデザインによって、いまや引く手あまたの存在となっている。彼女の手にかかれば、建築は機能を超え、芸術の域へと昇華する。驚くべきことではないが、彼女が最も長く、深く関わってきたクライアントは、彫刻家アレクサンダー・カルダーの孫であり、カルダー財団理事長を務めるアレクサンダー・"サンディ"・ロワーだ。ニューヨークのカルダー財団プロジェクト・スペースをはじめ、ロサンゼルスのハウザー&ワース、東京のペース・ギャラリーでの展示など、世界各地の重要なプロジェクトが彼女に託されてきた。一方でゴトウは、ホスピタリティや住宅建築の分野でもその才能を発揮している。京都・新門前の〈ジャン=ジョルジュ〉、親しい友人でもあるシェフ、ダニエル・ブールーの自宅キッチン、さらには2020年、アッパー・イースト・サイドの〈ダニエル〉で展開された〈ブールー・シュル・メール〉のダイニング・コンセプトのデザインもその一例だ。ユニオン・スクエアに構える、自身のスタジオ兼ペントハウス----キッチンとダイニングを備えた、宝石箱のように親密で精緻な空間----から、ゴトウはアメリカと日本を往還するハイブリッドな視点、尽きることのないニューヨークへの愛、そしてシャンパーニュから高速車に至るまで、彼女を形 づくる要素について静かに語る。

スペンサー・ベイリー(SB): あなたはニューヨークと東京、二つの都市の間で育ちました。その生い立ちは、世界の捉え方や物事を見る視点にどのような影響を与えていますか。

ステファニー・ゴトウ(SG): 私は、二つの文化が組み合わさってできた存在だと思っています。仕事では、見過ごされがちな繊細なニュアンスを翻訳するように、日本らしさをアメリカへ、アメリカらしさを日本へと行き来させている感覚があります。学生時代にはローマやパリに住み、ヨーロッパ各地を旅しました。旅は、文化の異なるレンズを通して物事を見る大切さを教えてくれました。そうした経験を経て、私は自分を「世界市民」だと感じています。

SB: 幼少期から現在に至るまで、あなたにとってニューヨークとはどのような存在ですか。

SG: 突き詰めると、ニューヨークは私にとって心の中心にある場所です。街がどれほど変化し、浮き沈み経験しようとも、ここにいると一番落ち着く。この街には、記憶を呼び起こす場所が数えきれないほどあります。たとえばワールド・トレード・センターは、私にとってとても早い時期からの象徴的な都市の原風景でした。ペイリー・パークもそう。久しぶりに前を通りかかると、思わず息をのむほど美しい。あるいはカーネギー・ホール。あの音響の素晴らしい空間で、これまでにどれだけ多くのコンサートを聴いてきたことか。 さらに、この街には家族としての深いつながりもあります。父方の祖父はニューヨークに住み、コロンビア大学に通い、1920年代後半から30年代初頭にかけて7年間ウォール街で働いていました。その姿に影響を受け、父もまた同じ道を歩んだのです。日本への愛情もとても深く、毎年数か月を日本で過ごしていますが、それでもやはり私は「とてもニューヨーク的」な人間だと感じています。


「Theoryの服は、
着る人をつくるのではなく、
服をつくるのは、あなた自身。」

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SB:ニューヨークにある日本的な空間で、特に好きな場所は。

SG: クイーンズのロングアイランドシティにあるノグチ・ミュージアムです。イサム・ノグチは、日本とアメリカという二つの文化を結ぶ、稀有で卓越した存在だと思います。

SB: 東京の中で、あなたにとって最も「ニューヨークらしい」場所は。

SG: たくさんあるようで、実はほとんどない、という感覚です。昨年、麻布台ヒルズでのカルダー展の仕事で東京に住んでいたとき、東京にいながら、とてもニューヨーカーらしい自分を感じていました。

SB: 建築家になりたいと思ったのはいつ頃ですか。

SG: 11歳か12歳の頃です。自分の部屋で家具を動かしながら、空間をどう彫刻するかを考えていました。高校ではフランク・ロイド・ライトを研究し、オークパ ークの建築をすべて見て回りました。建築は、後から選んだというより、ずっと自分の中にあったものです。

SB: ラファエル・ヴィニオリ氏、デヴィッド・ロックウェル氏、安藤忠雄氏といった建築家たちのもとで働いた、キャリア初期について教えてください。彼らから学んだ、最も大きなことは何でしたか。

SG: キャリアの始まりに、今は亡き偉大なラファエル・ヴィニオリのもとで6年間働きました。それはまさに夢のような時間でした。彼のスタジオは、巨大で美しく、活気に満ちた空間で、私にとっては一種の大学院のような場所でした。そこで私は、こうした並外れたプロジェクトを実現するために何が必要なのかを、間近で学びました。建築そのものだけでなく、ビジネスの側面も含めてです。その後、デヴィッド・ロックウェルのもとに移り、ホスピタリティについて多くを学びました。その経験がスティーヴン・スターとの出会いにつながり、ニューヨークのレストラン「モリモト」で安藤忠雄さんと一緒に仕事をする機会を得ました。安藤さんと仕事をしていたときの私は、常にフル回転でした。ニューヨークの一日が終わると、日本の一日が始まる。ほとんど24時間働いているような感覚でした。彼から学んだことは本当に多いのですが、何よりも、その仕事には根底に流れる精神性があります。作為的に感じられないのです。彼と一緒に仕事をする中で、すべては細部に宿るのだと学びました。8分の1インチの違い、そのレベルの精度。あらゆる要素を、きわめて繊細に考え抜くこと。その積み重ねが、空間をつくるのだと。

SB: まさにニューヨークでしか起こりえない流れですね。

SG: 狙ったというより、自然にそうなっていった、という感覚です。

SB: 2004年に独立した理由は。

SG: 若さゆえの怖いもの知らずもありましたが、自分にはチャンスがあると直感していました。安藤忠雄さんとの仕事は、独立へのきっかけとなる重要なステップでした。

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SB: 建築はやがてレストランへとつながっていきます。初期の重要なプロジェクトは。

SG: 特に印象深いのは、ポール・リーブラント氏の「コルトン」と、ジョージ・メンデス氏の「アルデア」です。どちらも当時は若いシェフでしたが、仕事をする中で強いシナジーを感じていました。今でこそデザインはホスピタリティと深く結びついていますが、当時はまだ、今ほど"体験としてデザインされたもの"ではありませんでした。だからこそ、あの時代に彼らと一緒につくった空間には、特別な手応えがあったのだと思います。

SB: 食の世界と深く結びつき、シャンパーニュとも関わり、さまざまな創造領域を行き来していますね。そうした世界を横断することは、どんな意味を持つのでしょうか。

SG: 自分が心から愛しているものを通して、これほど多くの機会や友情に恵まれてきたというのは、本当に特別なことだと感じています。私は常に、あらゆるものを建築のレンズを通して見ていますし、その視点が、異なる分野の人たちにも響いているように思います。私たちがやっていることには、共通して非常に高い精度があるんです。たとえばシャンパーニュ。あれはとても建築的な存在です。口に含んだときの感触、最初の一口から飲み終えるまでにどう表情が変化していくのか、そのつくられ方やブレンドのプロセスまで含めて。それこそが、建築の持つ力だと思います。建築は、必ずしも物理的な空間である必要はない。多感覚的で、はかなく、体験として立ち上がるものでもあり得るのです。

SB: あなたの仕事には、私が「スロー・アーキテクチャ」と呼びたくなるような側面がありますよね。一方で、シェフのマッシモ・ボットゥーラ氏と同じように、速い車も愛している。

SG: そうなんです!彼の著書『スロー・フード、ファスト・カーズ』(2023年)が大好きで、とても共感しています。私は、より小さくてスピード感のあるプロジェクトと、時間をかけて取り組む建築の仕事、その両方を手がけています。この二つのリズムがあることが、私にとっては理想的なんです。それぞれが異なるエネルギーを養ってくれて、そのバランスが創作全体を前に進めてくれています。

Hair Stylist Sadah Saltzman. Makeup Artist Azra Red at Exclusive Artists. Fashion Assistant Trey Hemmings. Production The Morrison Group.



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